治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟 和歌山東支部
2022-04-16T17:33:50+09:00
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「不屈」和歌山東版 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟和歌山東支部web
Excite Blog
不屈和歌山東版 更新
http://higasi.exblog.jp/3396177/
2022-04-16T23:59:00+09:00
2022-04-16T17:33:50+09:00
2006-07-17T08:40:07+09:00
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お知らせ
「不屈 和歌山東支部版」のブログです。
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憲法の話題、平和と戦争の話題、暮らしの話題、短歌、俳句、川柳など機関紙「不屈 和歌山東支部版」の記事を中心に掲載していきます。
お気軽にご覧下さい。
更新は 2022年5月16日 です
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治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟
和 歌 山 東 支 部
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支部総会
http://higasi.exblog.jp/22870991/
2016-02-11T21:30:47+09:00
2016-02-11T21:30:48+09:00
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支部活動
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歴史の記憶に関する法
http://higasi.exblog.jp/14973923/
2011-11-01T11:04:00+09:00
2013-08-02T20:16:56+09:00
2011-11-20T11:14:02+09:00
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治安維持法と現代
「歴史の記憶に関する法律」の
その後と本国憲法9条の碑を見る
治安維持法国賠同盟と共催で
私は、本誌「治安維持法と現代」二〇〇八年秋季号に「反ファシズムの集大成 スペイン『歴史の記憶に関する法律」と題する文章を掲載させていただいた。そのなかで、「歴史の記憶に関する法律」(以下、「記憶法」と略)の内容や成立した経過について簡単に書いた(注参照)。
この法律を知ったのは、国連拷問禁止委員であるスペインのマリーニョ・メネンデスさん(カルロスⅢ世大学教授)を通してであった。
二〇〇七年五月、拷問禁止条約第一回日本政府報告書蜜査については、本誌二〇〇七年秋季号に、国際人権活動日本委員会など四団体の「意見」が、二〇〇八年秋季号には、拷問禁止委貝会の「結論と勧告」が掲載されている。改めて本誌編集部のご努力に敬意を表したい。
本文は「記憶法」のだたかいが、その後どうなっているのか、二〇〇九年四月{国際人権活動日本委員会主催}と今年六月一一六日から七月三日まで、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟との共催によるツアーが企画され、二四名が参加した。その内容をお伝えしたい。
「記憶法」の専門家お二人と意見交流会
六月―八日、マドリッドで、一一年前に訪問したときにお匪話になったメネンデスさんと、同僚で「記憶法」の専門家であるラファエル・エスクデロ教授のお二人と意見交流会(下の写真)が行われた。
最初に私から「フランコの内戦・独裁時代における犠牲者の名誉回復のための『記憶法』は日本でも関心が高い。日本の歴代政府は侵略と植民地支配、国内外の弾圧を反省していない。こういう法律をぜひ日本でもつくりたい。東日本大震災での福島第一原発事故は放射能を世界に撒き散らしている。広島・長崎で被爆国となった日本が、いま加害国になっている。原発をなくし、スペインでも進んでいる自然子不ルギーによる発電についても学びたい」と発言しました
メネンデス教授は「ふたたびお会いできて非常に嬉しい。国連の拷問禁止委員をしている。国運に訴えにきた布川事件が無罪を勝ち取った報告は大変うれしく感じている。三月の大震災にお見舞い申し上げる。スペインには八か所の原発があり、サパテロ社会党政権は閉める計画はないが、新しく作る計画もない。ここ数年太陽パネル、風力発電などが急激に伸びている。フランコによる犠牲者の骨を子孫に返す、先祖の名誉を回復するのは非常に難しい」と述べた。
エスクデロ教授は「一九三六年以来フランコにより一四万四千人が合同墓地に葬られている。「記憶法」は政党ではなく市民団体で問題にし社会党が支持して出来た。国民党(右派)は『昔の傷を広げる』と反対している。次回の総選挙でサパテロ政権が負ければ『記憶法』がなくなるかもしれない。フランコ主義の思想は根強く残っている。特に警察や車隊の中に。フランコの墓も残っている。教科書に共和同政府のことが書かれていない」など、「記憶法」に基づくたたかいの前進が、逆流に抗して厳しいものになっていると話された。
ゲルニカ、グランカナリア島に分かれて
代衣団は二九日よりAコース(一三名)、Bコース(九名)の二つに分かれた。
Aコースはスペイン最古の大学の街サラマンカの「歴史の記憶法資料館」を見学。七月一日にはパブロ・ピカソの壁画で有名なゲルニカヘ。一九三七年四月二六日、フランコはヒトラーなどの力を借りて広島・長崎へっながるゲルニカヘの無差別爆撃を行った。ゲルニカ平和博物館(本誌[日本と世界の戦争博物館]参照)を見学し、空爆の被害者である八八歳のルイス・イリオンドさんの体験を聞いた。
私は、1年前のツアーで、四月二六日にゲルニカに行き、追悼式典に参加した。フランコは「爆撃はアカがやった」と宣伝し、フランコが死ぬまでイリオンドさんもそう思っていたという。
Bコースは、マドリッドから1000キロ離れたカナリア諸島のグランカナリア島を訪れた。グランカナリア島で二番目に大きい街、テルデ市を訪問し、市職員の案内で「ヒロシマ・ナガサキ広場」を訪れ、日本国憲法九条がスペイン語で書かれている碑を見学した。日本でもこうした碑はないのではないかと思う。この碑ができたいきさつは、テルデ市がNATO加盟と軍事基地設立に反対し「非核宣言」を行ったたたかいのときに、非核と平和を求める市民のあいだで日本の憲法が話題になり、一九九六年に広場(ヒロシマ・ナガサキ広場)と九条の碑が建設されたということだ。
日本国憲法9条の碑の前で
スペイン法律家たちと日本人との取組みが
また、グランカナリア島では、ラスパルマス大学のカルメロ・ペレス教授(二年前にも『記憶法』に関ったメンバーということでお会いしている)のお世話で、平和・人権の活動をしているNGO八団体との意見交流会を持つことができた。
ベレス教授は「カナリア諸島にも市民戦争時の三〇〇〇人の遺体が埋められている。『記憶法』の条文は不十分で、日本の憲法のような明確な規定がほしい。スペイン政府の対応も不ト分である」と語り、平和への権利国連宣言をつくるためにスペイン国際人権法協会(ベレスさんはこの協会の事務局長)が日本の学者・法律家とも協力していることを話された。「平和への権利宣言」は、日本国憲法九条だけでなく、憲法前文の平和的生存権を高く評価し、それを盛り込んだ国運宣言をするよう人権理事会への取り組みを行っている。
ペレス教授から日本の書籍のカバー・をコピーしたチラシを渡された。「平和への権利を世界に」(かもがわ出版)笹本潤(弁護士、国際民主法律家協会事務岫長)・前田朗(国際人権活動日本委員会、東京造形大学教授)編著の本である。お二人ともジュネーブで活躍している。八月の人権理事会諮問委員会の前に、ジュネーブで「人民の平和に関する専門家協議会」を開催し、笹本さん、前田さんと塩川頼男さんが事務局を担当したということである。諮問委員会では、前田さんと笹本さんが、このテーマで発言した。
また、今年の一二月には、「平和への権利を世界に」国連宜言の実施をめざす運動の一環として、スペイン国際人権法協会の会長、事務局長が来日する予定である。
「記憶法」は真実を探求するたたかい
参加したNGOはフ牛和と人権カナリア諸島文化区域の会」「パレスチナ人社会のための女性の会」「難民援助のためのスペイン委員会」「歴史の記憶の会」「『私は女性』の会」など八団体九人で、それぞれの活動の紹介があった。最初に発言した「歴史の記憶の会」のイサベルさんは、「父親が市民戦争で処刑された。テルデの火山の火口に共産党員の遺体が放り込まれた。「記憶法」では遺体を掘り出す許可がでない。行方不明者のリストが不十分である。『歴史の記憶法』のたたかいは真実を探求するたたかいである」と非常に感動的な発言をした。カルメンさんは、父親が社会党・人民戦線に関与し、二〇年の実刑を受けた。自分もフランコ政権に迫害され、四○年前にカナリア諸島に逃げてきた。バスケスさんも弾圧された家族だ。叔父さんは迫害されフランスヘ亡命したが、フランスもナチスの占領下でドイツの捕虜となった。現在も帰国していない。バスケスさん自身は一九五七年に非合法下の共産党員になり、一九七〇年デンマークに亡命。フランコが死亡してからスペインに戻ることができた。
続くNGOの方々の発言も「記憶法」にもとづくたたかいが、いかに困難なものかを語ってくれた。司法も保守的であると。しかし、「記憶法」は無駄、無効ではない、という力強い発言が最後にあった。
近代史の苦しみの中から
『記憶法』に関する二度のツアーで感じたことはこの法律がスペインの近代史の苫しみの中から生まれたものであり、一般市民の力で誕生させるまでは難産だったと聞いている。野党国民党はもとより、この法律を成立させた社会党の中にも「過去の問題を掘り返さなくても」という意見があったりする。次の総選挙でサパテロ社会党政権が倒れればづ記憶法』もどうなるかわからないという心配も聞く。法律に不ト分な点があるとはいえ、治安維持法や横浜~件やレッドーパージなどの大弾圧や侵略と植民地支配について明確な反省も謝罪も補償もない日本にくらべれば『記憶法』を誕生させたスペインの社会は立派である。フランコ派の残党や右翼、保守勢力からはげしい攻撃を受けている中で、『記憶法』の精神をけハ体化し、前進させようとたたかっている学費、弁護士、NGOの活動家と交流できたことは非常に有意義であった。
「日本でも『記憶法』を」という思いを強くし、これからも引き続き「記憶法」を学び、研究していきたい。
吉 田 好 一 (よしだ こういち・国際人権活動日本委員会代表委員)
(注) 歴史の記憶に関する法律
スペインでは、一九三六年に選挙で成立した民主主義的な共和政府を打倒するために、ファシストのフランコ将軍が、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニの力を借りて反乱軍を蜂起させ、一九三九年に終結するまで内戦状態となり、以後一九七五年にフランコが死去するまでので六年間、独裁体制が続いた。この法律は、スペイン内戦や独裁体制の間に、政治的・思想的な理由により迫害された人に対し、その刑罰・人権侵害の不当性を宣言し、名誉回復をする権利を認め、犠牲者、遺族に年金・賠償金を国が支給。犠牲者の発見、遺体の発掘を国が支援するとしている。スペイン内戦に共和政府側の義勇兵として参加した外国人にもスペイン国籍取得の権利を認め、その場合、賠償などが適用される。独裁政権を賛美する公共の記念物の撤去、資料センター設置などを定めている。
絵手紙 (「不屈」和歌山版 2011年5月15日号より)
「治安維持法と現代」 2011年秋季号 112~117頁
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こだま A級戦犯
http://higasi.exblog.jp/14974349/
2011-10-15T12:58:00+09:00
2011-11-20T13:02:21+09:00
2011-11-20T13:02:21+09:00
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不屈県版から
◆「A級戦犯はもはや戦犯ではない」とは野田首相の持論らしい。首相になってもそれを改めるつもりはないという。どこから出て来る理屈か知らないが、とんだ人が首相になったものだ。◆歴史認識で国際的常識に追いつけぬ首相は珍しくなかったが、「戦争犯罪」についても国際的常識を心得ぬ首相が二一世紀も一〇年代に現れたとはなんとも悲しい話である。◆「戦争と人道に反する罪には時効はない」とは、一九六八年国連総会で議決された条約である。だが、日本はいまだ批准していない。首相の持論の遠因はそこら辺りにあるのかもしれないが、お粗末な話である。◆だが、そんな国際条約を首相はもともと知らないのかもしれない。どちらかは知らないが、そんな姿勢で政治に当たられては平和も民主主義も危ういものだ。ただ靖国派は笑いが止まらないだろう。ところで首相は戦争犯罪や人道に反するを支えた治安維持法は知っているのだろうか。知っていても知らんぷりするもしれない。知らなければ教えてやろう。知らんぷりなら許さないでおこう。われわれの運動だ。一一月九日、盟代表は国会へ行く。一年間、同盟会員の集めた署名を引っ提げて。
2011.10.15 不屈和歌山県版 №242 (2)
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無言館と安曇野
http://higasi.exblog.jp/14242022/
2011-09-30T19:45:00+09:00
2011-09-15T01:24:12+09:00
2011-07-31T19:45:37+09:00
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不屈ツアー
2011年度「不屈」バスツアー
◇とき:10月12日(水)
~13日(木)
◇宿泊:鹿教湯(かけゆ)温泉・ニューかどや
(TEL:0268-44-2016)
戦場に散った画学生たちの絵を展示する無言館。「世界中のこどもに平和としあわせを」と子どもや花を描いたいわさきちひろの美術館。信州の山宣記念碑も訪れます。反戦平和への決意を固め、治安維持法犠牲者を追悼するとともに、深まる信州の秋を満喫し、英気を養いましょう。
無言館
長野県上田市、周りを山々に囲まれた田園地帯の丘の上に、ひっそりとたたずんでいる小さな美術館「無言館」。
静まりかえった「無言館」の扉を押すと、志を果たすことなく戦場に散った画学生たちの声が聞こえてきます。
絵描きになりたいと願いながら、一枚の画布、一冊のスケッチ帖に「生命の証」をきざみこんで戦地に発った若者たち。
「無言館」館主窪島誠一郎さんは、その画学生たちの遺した作品、遺品を全国各地に訪ね、収集しました。
安曇野ちひろ美術館
青春時代に戦争を体験したちひろは、「世界中のこどもみんなに平和と幸せを」ということばを残しています。
ちひろが描いた子どもや花は、今もいのちの輝き、平和の大切さを語り続けています。
97年にオープンした安曇野ちひろ美術館は多くの人が訪れ、いわさきちひろの代表作のほか、初期の素描、水彩、信州との深い結びつきを示す作品など、約80点が展示され、ちひろの画業の全体像に触れることができます。
山本宣治・高倉テル記念碑
29年3月1日、高倉テルの義兄弟にあたる山本宣治を招き講演会が行われました。この講演の4日後の3月5日、山本宣治は治安維持法改悪承認の議会にただ1人反対演説をすべく上京しましたが、その夜右翼に暗殺されました。抗議の記念碑が高倉テルの借家の庭に建立されました。
◇申し込み:各支部事務局長
または和歌山県本部(TEL/FAX:073-422-7076)
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平和と人権の世紀に
http://higasi.exblog.jp/14974390/
2011-08-15T13:06:00+09:00
2011-11-20T13:13:29+09:00
2011-11-20T13:10:47+09:00
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不屈中央版から
第35回全国大会から2か月が過ぎました。
いま、各県本部大会が開かれ大会方針の具体化がすすめられています。とくに同盟運動を、未来を展望し21世紀を平和と人権の世紀にしていくとたかいとして、署名目標や地方議会への請願、支部建設と会員拡大など国民的運動にしていくための努力が始よっています。
東日本大震災と原発事故は依然として深刻な事態が続いており、被災者の立場でI刻も早い復旧、復興が求められています。
国会請願行動は10月5日(水)に決まりました。国会請願行動を同盟の新たな前進と飛躍の突破口にしなければなりません。
しかし、7月1日現在、署名で昨年を超えているのは京都、奈良、島根の3県です。
すべての県本部、支部で署名で昨年を上回るとともに紹介議員の地元事務所への要請行動を直ちに始め、8・15全国一斉宣伝行動やブロック会議をバネに国会請願行動を成功させるために全力を挙げましよう。
不屈中央版 No446 (1) 2011年8月15日(毎月15日発行)
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第35回全国大会
http://higasi.exblog.jp/14974427/
2011-07-15T13:16:00+09:00
2011-11-20T13:21:11+09:00
2011-11-20T13:21:11+09:00
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不屈中央版から
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟第35回全国大会は6月19・20日、全労連会館で開かれ、代議員、役員、評議員が全国から129名参加。近江谷昭二郎副会長が開会あいさつ、議長団に林洋武・宇野美代子・角銅立身・栗田翠の各氏を選出。柳河瀬精会長があいさつ(別項に要旨)、各界の来賓あいさつを受け、柳河瀬会長から大震災見舞い金が岩手・宮城・福島に手渡されました。
続いて、針谷宏一事務局長から活動報告と運動方針案が、増本一彦副会長が規約改正提案を報告(討論は2日間で31名が発言し、運動方針と2つの特別決議は全員一致で、規約改正は賛成多数で採択。柳河瀬会長はじめ新役員を選出し閉会しました。
不屈中央版 No.445(2) 2011年7月15日(毎月15日発行)
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大逆事件100年見つめ
http://higasi.exblog.jp/12852822/
2011-02-05T18:21:00+09:00
2011-02-11T02:46:17+09:00
2011-02-11T02:27:20+09:00
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大逆事件
大逆事件100年見つめ直す
(右) 犠牲者の大石誠之助‥‥‥新宮市立図書館提供 (左) 大石誠之肋の墓に深く頭を下げる二河通夫さん=1月16日、和歌山県新宮市新宮、三島写す
明治天皇暗殺を企てたなどとして幸徳秋水ら12人が処刑された大逆事件から100年。社会主義者弾圧のために事件の大半がでっち上げられたとされるが、遺族らは偏見の中で沈黙を余儀なくされてきた。1世紀を経た今、犠牲者の名誉回復を求め、事件を現在につながる問題としてとらえようとする人々がいる。
(福井悠介、三島庸孝)
犠牲者、名誉回復の動き
事件で罪に問われた「新宮グループ」6人の中心地、和歌山県新宮市。死刑になった大石誠之助はアメリカやインドに留学した医師だった。帰郷してからは貧しい人に無料で医療を施していた。
1月16日。24口の命日を前に、地元の市民団体「『大逆事件』の犠牲者を顕彰する会」のメンバーや市議ら約30人が、新宮市にある大石たち犠牲者の墓参りに訪れた。
同会会長の二河通夫さん(80)は「新宮では判決直後、不敬な人物を出したことを国に謝罪する大会が計画され、街全体が謹慎する空気になった。遺族にもとんでもない圧力をかけてきた」と話す。
新宮市議会は2001年、6人は冤罪だったとして、名誉回復を宣言した。二河さんらはいま、大石を名誉市民とするよう、市議会に請願している。請願は1月14日に総務委員会を通過したが、議会内の賛否は割れている。3月初めにも開会する定例会で採択されるか、微妙な情勢だ。
年老いた遺族は、偏見の中で長い時を生きてきた。
大石の兄の孫である玉置笛世さん(86)は「大石姓の親戚はみんなよそへいってしまいました。私は姓が違うからいられた」という。
遺族として取材に応じるようになったのはここ数年だ。だが昨年、知人の男性に「あまり大石と言わない方がいい」と忠告された。
新宮市に住む30代の男性は無期懲役になった受刑者のひ孫にあたる。祖母と同居していたが、「事件にかかわることはまったく話さなかった」という。事件と自らのかかわりに気がついたのは、中学の授業だった。「遺族にとっては、権力より、世間の方が怖かったんじゃないか」
事件をどう受け止めるべきか、思いはまだ定まらない。ただ、100年前から突きつけられたままの問いがある、と考える。
「もし誰かが理不尽に攻撃されてる時、どっちの側に立てるのか。それが問われてるんじゃないかな」
「捜査誘導」問題話し合い
幸徳秋水ら命日
幸徳秋水らの命日にあたる1月24日、参院議員会館の講堂で「大逆事件百年後の意味」と題した集会が開かれた。200人ほどが集まり、検察捜査の問題点などを論じ合った。
ジャーナリストの鎌田慧さんは、事件の検事で、後に検事総長や首相を務めた平沼騏一郎らの捜査を「罪の無い人を陥れ誘導する取り調べ」と指摘。「今も同じようなことをしている」と述べた。
安田好弘弁護士は、政界捜査などでの検察の影響力の大きさを指摘。「大逆事件の意味を理解するなら、今の検察の役割を根本的に見直す必要がある」と主張した。
大逆事件
1910年、明治天皇の暗殺を計画したなどとして、幸徳秋水ら社会主義、無政府主義者ら数百人が摘発された。天皇や皇太子らに危害を加えたり加えようとしたりした者を死刑とする大逆罪が初適用され、翌11年1月18日、26人中24人に死刑判決が出た。12人は翌日、無期懲役に「特赦」されたが、12人は1週間後までに処刑された。法的には67年、最高裁で再審請求の特別抗告が棄却された。
朝日新聞 2011年(平成23年)2月5日
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100年目の墓参り
http://higasi.exblog.jp/12852812/
2011-01-17T18:15:00+09:00
2011-02-11T02:28:08+09:00
2011-02-11T02:20:57+09:00
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大逆事件
顕彰会・新宮市長ら参加 2011年1月17日
100年前に大逆事件で処刑された新宮市の医師大石誠之助らの命日(24日)を前に、市民団体「大逆事件の犠牲者を顕彰する会」のメンバーらが16日、犠牲者の墓参りをした。大石の墓参りには、大石を名誉市民に推挙することに慎重な姿勢の田岡実千年市長も初めて参加した。
事件で有罪とされた「新宮グループ」の6人のうち大石ら3人の墓がある新宮市の南谷墓地には「顕彰する会」の二河通夫会長、田岡市長、市議ら約30人が訪れた。大石、高木顕明(けんみょう)(1914年に獄中で自殺)、峯尾節堂(みねお・せつどう)(19年に獄死)の墓に一人ずつ線香をあげて手を合わせた。
大石誠之助の墓に手を合わせる参加者=新宮市新宮
大石を名誉市民にしようと活動する二河会長は取材に「この1年、シンポジウムや名誉市民の問題で、多くの方に関心を持ってもらえたことを報告した」と語った。田岡市長は、大石を名誉市民に推挙することについて「市議会が全会一致で賛成いただける状況になれば考えたい」と話した。
新宮市の名誉市民は市の条例では市長が議会に提案することになっている。田岡市長が慎重なため、昨年11月に推進派の市議有志が議員提案での推挙を目指し、条例改正案を出したが否決された。その後、「顕彰する会」が市長の推挙と市議会の尽力を求める請願を提出。14日の総務委員会で採択され、3月定例会の本会議で議論される見通し。
大逆事件は、明治天皇暗殺を企てたとして1910年5月から社会主義者らが逮捕され、翌年1月に幸徳秋水ら12人が死刑、12人が無期懲役になった。「新宮グループ」の大石と成石平四郎が死刑、4人が無期懲役になった。
成石と兄・勘三郎(31年死去)は田辺市本宮町耳打に、崎久保誓一(55年死去)は三重県御浜町に墓があり、「顕彰する会」のメンバーらはこの日すべて訪れた。(三島庸孝)
大石誠之助=新宮市立図書館提供
アサヒ・コム 2011年1月17日
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ぴよ~んと
http://higasi.exblog.jp/12852919/
2011-01-15T22:50:00+09:00
2011-02-11T04:00:20+09:00
2011-02-11T03:22:44+09:00
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不屈県版から
不屈 和歌山県版
№233 2011.1.15
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟和歌山県本部
640-8343 和歌山市吉田102 国労会館2階
Tel & Fax 073(422)7076
私たちの運動の基本
ふたたび戦争と暗黒政治を許すな。
一 治安維持法体制の復活に反対する。
二 国は、戦前の治安維持法が人道に反する法律であったことを認めること。
三 国は、治安維持法の犠牲者に謝罪と賠償をおこなうこと。
ぴよ~んと 跳ねて
飛躍の としに
2011年 元旦
「どうめいメール」 : chian_giseisya@yahoo.co.jp/
# by hukutsu-wakayama | 2011-01-15 22:50 | 不屈県版233号
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日中友好協会 市民講座
http://higasi.exblog.jp/12852851/
2010-09-03T13:53:00+09:00
2011-02-11T02:44:53+09:00
2011-02-11T02:41:36+09:00
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お知らせ
市民講座開催御案内
日時:9月15日
午後1時30分~3時30分
場所:県教育会館4F 会議室
(バス停真砂町下車徒歩西へ2~3分)
演題:沖縄の米軍基地問題と日中関係
講師:県連役員 林 幸三
日本中国友好協会和歌山県連合会
会 長 橋 爪 利 次
理事長 岡 本 弘 雄
前略
平素は何かと御厚誼いただきまして有難う存じます。
さて、この度、時宜に適した企画を用意しました。
宜しく御配慮下さるようお願いします。
■整理費:300円、希望者には、沖縄県発行物。
●申込・問合せ、電話:073-424-6531
Commented by hayashi kouzou at 2010-09-03 13:53 ]]>
ビラ配布処罰は違憲
http://higasi.exblog.jp/10916584/
2010-03-30T23:18:00+09:00
2010-03-30T23:26:53+09:00
2010-03-30T23:18:29+09:00
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憲法の話題
公務員の政治活動禁止「広すぎる」
堀越事件で東京高裁
2003年11月、休日に自宅近くで「しんぶん赤旗」号外などのビラを配り、国家公務員法違反(政治的行為の制限)に問われ、一審で罰金10万円、執行猶予2年とされた元社会保険庁職員、堀越明男さん(56)の控訴審判決が29日、東京高裁でありました。中山隆夫裁判長は「このような被告の行為を刑事罰に処することは、表現の自由を保障した憲法に違反する」として逆転無罪を言い渡しました。東京高裁に詰めかけた多数の市民や支援者からは、「憲法は守られた」と喜びの声があがりました。
(写真)
無罪判決をうけて支援者らにお礼と決意を述べる堀越明男さん(中央)
=29日、東京高裁前
一審の東京地裁は、国家公務員法による公務員の政治的活動の禁止を合憲とした1974年の猿払(さるふつ)事件の最高裁判例を踏襲しました。中山裁判長は国公法の政治活動の制限そのものは「合憲」としながらも、今日では国民の意識は変化し、表現の自由が特に重要だという認識が深まっていると指摘。勤務時間外まで全面的に政治活動を禁止するのは、規制が不必要に広すぎるとの疑問があるとしました。
そのうえで、堀越さんが行った行為は、私人として休日に職務と無関係に、公務員であることを明かさずに行ったにすぎないとして、「国の行政の中立的運営と、それに対する国民の信頼確保を侵害するとは常識的に考えられない」と認定。「被告を処罰することは、国家公務員の政治活動の自由にやむを得ない限度を超えた制約を加えたもので、憲法21条などに違反する」と結論づけました。
さらに、「わが国の国家公務員への政治的行為の禁止は、諸外国と比べて広範なもの。世界標準という視点からも、刑事罰の対象とすることの当否、その範囲を含めて再検討されるべき時代が到来している」と異例の付言をしました。
一方、堀越事件は、そもそも尾行、ビデオ撮影など公安警察による違法な捜査により、日本共産党の活動を弾圧する目的ででっちあげられたものでした。高裁判決はこれらについては言及しませんでした。
判決後、堀越さんは「表現の自由は守られました。日本の歴史が変わったと感じる判決でした」と喜びを語りました。
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判決の骨子
一、国家公務員法や人事院規則による公務員の政治活動禁止は憲法に違反しない。
一、被告の行為は行政の中立的運営、行政に対する国民の信頼確保を侵害しない。
一、本件の処罰は国家公務員の政治的活動の自由に限度を超えた制約を加え、表現の自由を保障する憲法21条に違反。
2010年3月30日(火) 「しんぶん赤旗」
政党機関紙配布、元社保庁職員に逆転無罪
東京高裁
元社保庁職員に対する無罪判決を知らせる弁護士ら=29日午前10時すぎ、東京・霞が関の東京高裁、越田省吾撮影
休日に政党の機関紙を配布したとして、国家公務員法違反(政治的行為の制限)の罪に問われた旧社会保険庁(現日本年金機構)の年金審査官だった堀越明男被告(56)の控訴審で、東京高裁は29日、罰金10万円、執行猶予2年とした一審・東京地裁判決を破棄し、無罪とする判決を言い渡した。中山隆夫裁判長は「このような配布に同法の罰則規定を適用するのは国家公務員の政治活動に限度を超えた制約を加えることになり、表現の自由を保障した憲法に反する」との判断を示した。
堀越元審査官は2003年の衆院選前に共産党の機関紙「しんぶん赤旗」の号外などを自宅近くのマンションで配ったとして起訴された。国家公務員が同法違反の罪で起訴されたのは、社会党(当時)のポスターを掲示・配布した郵便局職員が1974年の最高裁大法廷判決で有罪(一、二審は無罪)となった「猿払(さるふつ)事件」以来だった。
この日の判決は「国家公務員の政治的行為を制限した国家公務員法の規定は合憲」と述べ、猿払事件判決の司法判断の大枠は維持した。その一方で「国民の法意識は時代の進展や政治的、社会的状況の変動によって変容する」と指摘。猿払事件当時と比べて「民主主義は成熟し、表現の自由が重要な権利であるという認識が一層深まっている」との状況認識を示し、「公務員の政治活動を全面的に禁止することは、不必要に広すぎる面がある」とした。
そのうえで、起訴された元審査官の行為を検討。元審査官は社会保険事務所に勤務する事務官で、職務に裁量の余地がなく管理職でもない▽休日に勤務先やその職務とかかわりなく、勤務先から離れた自宅周辺で、公務員であることを明らかにせずに配布しており、目撃した一般国民がいたとしても、公務員の政治的行為と認識する可能性はなかった――と言及した。
さらに、機関紙の発行、編集をするのに比べると政治的な偏向が認められないことや、集団的な政治行為ではなかった点も考慮。「行政の中立的運営や国民の信頼という保護法益が損なわれる抽象的危険性があるとするのは、常識的に見て困難だ」と結論づけた。
中山裁判長は判決理由の最後に「付言」として国家公務員の政治的行為の禁止について言及。諸外国と比べても厳しく、制定当時と比べても大きな社会意識の変化が起きていることや、地方公務員に対する制限とも異なることを踏まえ、「組織的に行われたものや、ほかの違反行為を伴うものを除けば、表現の自由の発現として、相当程度許容的になってきている」と指摘。「刑事罰の対象とすることの当否、その範囲などを含め、再検討され、整理されるべき時代が到来しているように思われる」と述べた。
06年の一審判決は、猿払事件の最高裁判決を踏襲して、堀越元審査官の行為を「政治的中立性を損なう恐れがある」と指摘。「公務員の政治的行為が禁止されていることを認識しながら、支持政党の機関紙を配布したことは正当化できない」と述べ、執行猶予付きの罰金刑を言い渡した。このため、有罪を不服とした弁護側と、量刑を不服とした検察側の双方が控訴していた。(向井宏樹)
◇
〈公務員の政治的行為〉
国家公務員は国家公務員法によって政治的行為が禁止されている。人事院規則で具体的な禁止行為が定められ、政党や政治団体の機関紙の発刊や編集、配布のほか、政党への勧誘、署名活動、集会で政治的目的を持つ意見を述べることなどが禁じられている。現在の法定刑は3年以下の懲役、または100万円以下の罰金。地方公務員も、地方公務員法で政治的行為が制限されている。
2010年3月29日10時17分 asahi.com
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鶴彬-心の軌跡-
http://higasi.exblog.jp/10860028/
2010-03-13T16:47:00+09:00
2010-03-13T17:03:15+09:00
2010-03-13T16:47:45+09:00
hukutsu-higasi
お知らせ
とき:2010年4月16日(金)
上映:午後2時/午後4時30分/午後6時30分
場所:和歌山県民文化会館 和歌山県和歌山市小松原通1丁目1
問合せ先:治安維持法国賠同盟和歌山県本部 073-422-7076
鶴彬(つるあきら)
「暁を抱いて闇にゐる蕾」「手と足をもいだ丸太にしてかへし」など数多くの鋭い反戦川柳を詠んだ鶴彬(つるあきら)は、石川県高松に生まれ、本名は喜多一二(きたかつじ)といいます。
「暴風と海の恋を見ましたか」というロマンチックな句をつくっていた少年が、社会運動の高まりのなかで成長し、19歳でナップ(全日本無産者芸術連盟)高松支部を結成。反戦句をつくって戦争反対を貫くとともに、21歳で金沢歩兵第七連隊に入営すると、日本共産青年同盟の機関紙『無産青年』をもちこむなど反戦活動をし、治安維持法違反で懲役2年の刑に。
日本が中国に全面的な侵略戦争を始めた37年には「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」「高梁の実りへ戦車と靴の鋲」「屍のゐないニュース映画で勇ましい」などの作品を発表します。その直後にふたたび治安維持法違反で、東京の野方署に留置され、翌年、赤痢に感染、勾留を解かれないまま病院で亡くなります。特高に虐殺された小林多喜二と同じ年の享年29歳でした。出身地の高松町には「枯れ芝よ!団結をして春を待つ」の句碑が建っており、『鶴彬を顕彰する会』もつくられています。
『鶴彬全集』を復刻した澤地久枝さんはインタビューにこう語っています。「一番最後の句が『胎内の動き知るころ骨がつき』というのもすごいことです。身ごもった赤ちゃんの胎動がわかって生まれてくる日を予告していたというのに、父親は戦死してその遺骨が届く。子は父を失い母は夫を失う。戦争をみごとに突いた句です。日中戦争が激しくなった1938年9月14日に息を引き取った青年は、最後まで反戦の筋を通して死んでいきました。ずいぶん痛ましい、しかしみごとな人生だと思います。」
警察病院で燃え尽きた鶴彬の遺骨は、ふる里高松へ帰ることなく、兄孝雄さんの手により、岩手県盛岡市の光照寺で手厚く葬られました。
※ 「鶴彬-こころの軌跡-」 - 公式サイト
※ 予告編]]>
シベリア特措法
http://higasi.exblog.jp/10721915/
2010-01-26T21:34:00+09:00
2010-01-31T21:35:37+09:00
2010-01-31T21:35:37+09:00
hukutsu-higasi
戦争責任と国家賠償
抑留者補償協議会 「今国会でこそ」
旧ソ連のシベリアやモンゴルに戦後抑留され、強制労働させられた元抑留者でつくる全国抑留者補償協議会などは25日、参院議員会館で集会を開きました。抑留問題解決のための「戦後強制抑留者特別措置法案」を世論の後押しとともに今国会で成立させようと決意を新たにしました。
法案は元抑留者に「特別給付金」を支払うことを柱にしたもので、昨年の臨時国会で与野党が合意。しかし、政局が混乱したあおりを受けて、先送りされました。
参加者から、今国会は「政治とカネ」の問題で、混乱が避けられないとの指摘がありました。これには「30年間運動をしてきて、ようやく着地点が見えてきた。一人でも多くの人に給付金を受け取ってもらえるよう、一刻も早く成立させよう」と話し合いました。
兄をシベリアで亡くした遺族の男性は「抑留者は毎日亡くなっている。正義の声が国会に届けばと願って参加した」と初参加の思いを語りました。
93歳の元抑留者は「われわれは天皇の命令で戦争に行ったのに、日本政府は補償してくれないのか。われわれが死んでしまえば、おしまいか」と怒りの声をあげました。
2010年1月26日(火)「しんぶん赤旗」
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賀正
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2010-01-15T21:46:00+09:00
2010-01-31T21:48:27+09:00
2010-01-31T21:48:27+09:00
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県本部だより
新年おめでとう御座居ます
和歌山県本部会長 西村 純一
昨年の総選挙で自公政権が政権の座から退場し、新しい政権が誕生しました。わが国の政治はこれによって大激動の時代を迎えています。多くの国民が希う方向に進むかどうかは混沌として、旧来の政権とどこが違うのか、いまだに明確になっていません。
平和とくらし、民主主義を前にむけかって前進させるのは、ひとえに有権者・国民の動向にかかっています。今夏に予定されている参議院議員選挙で再度の審判がきわめて重要となります。
現憲法を指針として生かし、明るい未来を切り開くためにも、わが国の民主的諸勢力の力量が試される時代に入っています。わが国賠同盟もその一翼を担って、その運動と組織を一層強化する必要があります。
とりわけ、年明けから心を新たに、国賠署名で目標達成に向けたスタート・ダッシュをはからなければなりません。
それには、同盟会員の拡大で各支部の活力を強め、草の根からの一層の態勢強化が不可欠になっています。
県本部役員一同、支部の皆さんとともに、知恵と力を合わせて奮闘する所存であります。
ともに頑張りましょう。
(きりえ 中西千恵子さん)
不屈和歌山県版 No.221 2010.1.15
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