教科書を比べる
多くの血が流され、あまたの悲劇を生んだ日中全面戦争――。この戦争について、東アジアの子どもたちはどのように教えられているのだろう。それぞれで広く用いられている中学生用の歴史教科書を比べてみる。
日本=「南京大虐殺」の呼称改める
中国=12ページ 写真を多用、生々しく
韓国=「抗日」の視点で7行のみ
台湾=皇民化運動の強化に焦点
日本=「南京大虐殺」の呼称改める
最も多く使われている東京書籍の「新しい社会 歴史」は、日中戦争と戦時下の日本の社会体制を2ページで扱う。
日中戦争の始まりについては「北京郊外の盧溝橋で起こった日中両国軍の武力衝突(盧溝橋事件)により、日中戦争が始まりました」という簡単な記述だ。その一方、「泥沼化する戦争」という題で、次のように説明している。
《日本は、国民政府にかわる親日政権の出現を期待し、これと和平交渉をもとうとする声明を発表しました。しかし、中国民衆の抗日意識はいっそう高まり、日本の短期決戦の見こみははずれ、日中両国が総力をあげて戦う全面戦争に発展していきました》
ラクダで物資を運ぶ日本兵の写真を載せ、「日本軍には、長期化する戦争に必要な物資のたくわえも、補給手段も不足していました」という説明を付けている。補給手段を確保しないまま戦争を続けたことを理解させる狙いだ。
日本軍による加害行為や残虐行為に関する記述は少なく、南京事件についても本文と「注」で次のように触れているだけだ。
《日本軍は(中略)首都南京を占領しました。その過程で、女性や子どもをふくむ中国人を大量に殺害しました(南京事件)》=本文
《この事件は、南京大虐殺として国際的に非難されましたが、国民には知らされませんでした》=注
同社の10年前の教科書は、死者数は「約20万人ともいわれる」と本文で述べ、事件の呼称も「南京大虐殺」としていた。その後、こうした加害行為の記述は「自虐的だ」という批判が日本国内に現れた影響で、改められた形だ。
渡辺能理夫・社会編集部長は「犠牲者数は学説上も幅があることに配慮した。呼称については、国際的には『大虐殺』と認識されていることを注で示した」と話している。
(吉沢龍彦)
中国=12ページ 写真を多用、生々しく
中国で半数以上の学校が使用している人民教育出版社の「中国歴史 8年級」では、「中華民族の抗日戦争」という単元で、全面戦争の勃発(ぼっぱつ)から日本の敗北まで12ページにわたって説明している。
戦争の発端についてはこう記述している。
《1937年7月7日の夜、日本軍は盧溝橋付近で軍事演習を行った。日本軍は兵士1名が失踪(しっそう)したことを口実に、宛平県城の捜査を無理に要求し、中国守備軍の拒絶にあった。戦争を挑発する意図を持っていた日本軍は横暴にも中国守備軍に向かって進攻し、宛平県城を砲撃した。(中略)全国的規模の抗日戦争がここに勃発した。盧溝橋事変は七・七事変とも呼ばれる》
学習指導要領にあたる中国の「歴史課程標準」では、中日戦争については(1)「七・七事変」の史実を略述し、中国の全民族的抗戦が始まったことを知る(2)南京大虐殺などを例とし、日本軍国主義の凶暴で残忍な侵略の本質を認識する(3)「台児荘激戦」や「百団大戦」などの史実を述べ、勇猛果敢さや犠牲をいとわない精神を実感する、の3点を求めている。
教科書はこの方針に忠実に沿った内容となっており、主な戦闘について生々しく記述しているのが日本の教科書とは大きく異なる点だ。また、中国共産党の役割について「根拠地の軍民を指導して頑強に抗戦し、日本の侵略への抵抗における大黒柱となった」と位置づけている。
「南京大虐殺」については2ページほどで説明しているが、写真を4枚掲載しているほか、「百人斬(ぎ)り」を競う将校を報じる新聞紙面も紹介している。被害者数の記述をそのまま引用すると次の通り。
《戦後の極東国際軍事裁判の統計によると、日本軍が南京を占領した6週間の間に虐殺された、何の武器も持っていない住民や将兵は30万人以上に達した》
(佐藤和雄)
韓国=「抗日」の視点で7行のみ
日中戦争は、韓国では「中日戦争」と呼ばれ、中学では世界史を扱う「社会2」で取り上げている。
執筆者が取材に応じてくれたティディムドル出版の教科書では、第2次大戦や中国の国民党と共産党の関係など、3カ所にわたって計7行ほど、次のように記述している。
《全体主義国家は積極的に侵略政策を推し進めた。日本は中国を侵略した(中日戦争)》
《中日戦争が始まると、日本は瞬く間に中国の主要都市を占領した。しかし中国人の粘り強い抗争で日本軍は中国大陸に足を縛られてしまった》
《日本が本格的に中国を侵略すると、国民党と共産党は、再び協力関係を結び、ともに抗日戦争を展開した(第2次国共合作)》
執筆者の金陸勲(キム・ユックン)・泰陵高校教諭は「アメリカが日本を破り、第2次大戦が終わったと考える韓国人が多いが、中国民衆の抵抗も日本の敗北に役割を果たしたことを知っておくべきだ」と語る。
韓国では自国史を扱う「国史」は、1種類だけの国定教科書だ。ここでは日本の中国侵略が本格化するなかで、韓国人の独立運動と中国側との協力を重視している。1932年に上海で爆弾を投げて日本の軍人らを殺した尹奉吉(ユン・ボンギル)の「義挙」を取り上げ、次のように書いている。
《日本の侵略を警戒していた中国人に大きな感動を与え、中国政府と中国人が、韓国人の抗日独立闘争に積極的に協力する重要なきっかけともなった》
南京事件については、高校の「世界史」で教えている。金星出版の教科書では、こう記述している。
《(日本は)華北へ進出し、全面的な侵略戦争を始めた。この過程で南京では数十万人の良民虐殺もした(南京大虐殺)》
(桜井泉)
台湾=皇民化運動の強化に焦点
台湾の教科書では、日中戦争は中国史、台湾史、世界史のいずれでも取り上げられている。広く使われている南一書局の「国民中学・社会」の中国史部分では「中日戦争と中共政権の発展」の単元で2ページ余りを割いている。
《民族の活力は、中国共産党の発展と日本の侵略によって最大の試練に遭った。中国人は8年に及ぶ苦難の抗戦を経てもなお、戦争の悪夢から抜け出せなかった》
個別の戦いについては触れていないが、南京事件だけは《日本軍は南京に進入し、罪のない民衆30万人を惨殺するという南京大虐殺の惨事を引き起こした》と述べ、「百人斬(ぎ)り」の模様を伝えた日本の新聞の写真も載せている。
台湾史部分では「植民地統治の強化」の単元で1ページ余りを割き、特に戦時体制のもとでの皇民化運動に焦点を当てている。
《1936年、総督府は「皇民化、工業化、南進基地化」を宣言した。台湾は戦時体制に入り、皇民化運動が強力に展開された》
《台湾籍の軍人・軍夫が大量に徴用され、中には前線に送られて慰安婦にされた女性もいた》
また、世界史部分でも第2次大戦の説明の中で2行ほど触れている。
国民党政権時代の1983年の「歴史課程標準」に基づく教科書では、蒋介石に高い評価を与える一方、抗日統一戦線を組んだ共産党については「抗戦を偽装して、地盤を拡張した」と批判していたが、今の教科書にはこうした記述は見あたらない。
南一書局の教科書の編集指導委員の周恵民(チョウ・ホイミン)・政治大学歴史学部教授は「共産党勢力の拡大につながった36年の西安事件がなければ、中日戦争の発生は先に延びたかもしれない。戦役や蒋介石の紹介よりも、西安事件と中日戦争の密接な関係を説明した」と編集方針を語る。
(田村宏嗣)
asahi.com > 歴史は生きている 6章(2007年11月26~11月27日)