戦争責任とはなにか
1 なぜ戦争貴任を問題にするのか
戦争が終わってもう五〇年以上たつのに、いまごろ、なぜ、戦争責任などということを問題にするのかと、疑問に思われる方も多いと思います。とくに若い方々は、自分たちの生まれる前におこなわれた戦争について、責任だとか、謝罪だとか、賠償だとかいわれても、それは自分にはまったく関係のないことだし、むしろ迷惑だという気持ちがつよいことでしょう。
しかし、これからお話ししますように、日本ではいまだに戦争責任の問題があいまいにされていて、賠償や補償の聞題もようやく最近になってから裁判で争われるようになり、いまだに決着がついていません。そしてそういうあいまいさにつけこんで、日本がやった戦争は正しかったのだとか、南京大虐殺や従軍「慰安婦」などという戦争犯罪はなかったなど、日本人の歴史認識をゆがめ、アジアの人びととの友好を傷つける発言や運動がはげしくなっています。一昨年(一九九六年)の春ごろから、中学校の社会科教科書から従軍「慰安婦」の記述を削除せよという自民党の一部と右翼が結びついた運動がおこり、また今年(一九九八年)の五月から『プライド』という東条英機を賛美する映画が東映系で上映されたことは、ご承知のとおりです。七月末に成立した小渕内閣の中川昭一農水相が就任後最初の記者会見で、「従軍『慰安婦』に強制があったかどうか分らない」、「これを教科書にのせるのは疑問だ」と発言し、あとでこれを撤回しましたけれども、やはりここにも歴史的事実をゆがめようとする意図があきらかにみられます。
このように過去の戦争責任をあいまいにしようという動きは、これまでも何回かありましたが、それはいつも憲法改悪の策動と結びつき、現在の動きも新ガイドラインや憲法調査委員会設置の動きと結びついています。逆にいえば、過去の戦争責任を明確にすることが平和憲法を守り、未来の戦争をふせぐことにつながっているのです。これが今日の私の話の結論なので、結論を先に申し上げてしまいましたが、これから本論に入ります。