12・8太平洋戦争開始66年
侵略戦争から何を学ぶのか
今から六十六年前の十二月八日未明、日本軍は、東南アジアのマレー半島北端に位置するコタバルに上陸する一方、ハワイ・真珠湾の米海軍を爆撃し、太平洋戦争を開始しました。三百万人を超える日本国民の命を奪い、アジアで二千万人を超える人々を犠牲にした日本の侵略戦争から何を学ぶのか、いまに問われています。
「慰安婦」問題
国際的に広がる批判
太平洋戦争開戦で日本政府は、「南京大虐殺事件」に象徴される中国侵略戦争を継続するための資源獲得をもくろみ、アジア・太平洋地域に侵略の手を広げました。予算編成上も「支那事変(日中全面戦争)と大東亜戦争(太平洋戦争)とは一体のもの」(一九四一年十二月十六日、貴族院予算委員会で賀屋興宣蔵相)でした。
侵略戦争をつきすすんだ日本は、ドイツ、イタリアとの間でファシズムと軍国主義の軍事同盟を結び、世界に巨大な惨禍をもたらしました。戦後、この反省のうえに「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやう」(憲法前文)決意したのでした。
ところが、戦後自民党政治は一貫して侵略戦争に無反省な態度をとりつづけ、とくに侵略戦争肯定の「靖国」派が中枢を占めた安倍前内閣では、歴史を逆行させる動きが表面化しました。
とくに日本軍「慰安婦」問題では、安倍前首相自身が「強制性」を否定し、「軍や官憲による強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」(三月十六日)という政府答弁書まで決定。自民、民主の国会議員は米紙ワシントン・ポスト六月十四日付に同様の全面広告を掲載し、米国内で大きな怒りを買いました。
こうした動きに対し、米下院が七月三十日、「慰安婦」問題で証拠がないという日本政府に対して明確な謝罪を求める決議を全会一致で採択しました。その後、オランダ下院が十一月八日、日本政府に元「慰安婦」への謝罪と賠償を求める決議を全会一致で採択。カナダ下院も十一月二十八日に謝罪を求める動議を全会一致で採択しました。国際社会からの批判はいっそう強まっています。
国際社会で連続して日本政府が断罪されているのは、侵略戦争への無反省ぶりが世界からみて異常だからです。
「戦後レジームからの脱却」など極端な復古的・反動的スローガンを掲げた安倍「靖国」派政権の崩壊は、歴史の改ざんを許さない内外の良識の成果といえます。
教科書検定
問われる「負の遺産」
安倍政権下での歴史逆流の動きに、高校日本史の教科書から、沖縄戦で起きた「集団自決」への日本軍の強制が削られた問題があります。今年三月の教科書検定で、文部科学省が強行したものです。
その後の日本共産党などの追及で、「軍の強制」削除が専門的な検討もなく、文科省ぐるみでおこなわれたことが明らかになりました。
「靖国」派は沖縄戦「集団自決」問題を、南京虐殺、日本軍「慰安婦」問題と並ぶ「自虐史観象徴の三点セット」と位置づけて教科書の書き換えを求めてきました。
教科書執筆者の一人である石山久男・歴史教育者協議会委員長は、その狙いについて「過去に日本の軍隊がやった残虐行為を隠し、軍隊や戦争を美化したい。そうしないと、憲法を変えて、国民が戦争に参加するようにならない。それに尽きる」と指摘します。
この検定問題は、沖縄県民の悲憤を呼び起こし、九月二十九日、検定意見撤回を求める県民大会には十一万人が参加しました。戦場で「軍官民共生共死」を強いられ、手榴(しゅりゅう)弾で「集団自決」を図り、死に切れなかった家族を手にかけるという悲痛な体験の記憶は、六十二年たったいまも鮮明なのです。
ところが、文科省は検定意見の撤回を拒否し続けています。アジア外交で安倍内閣から一定の変化を見せる福田康夫首相ですが、歴史認識ではあいまいなままです。
十一月二十八日には、「靖国」派の中心である日本会議国会議員懇談会が総会を開き、「事実に反する『軍命令による沖縄住民に対する自決の強制』が教科書記述となることは許されない」とする決議をあげるなど、巻き返しを図っています。
アジアの平和に貢献するのか、それとも再び海外で戦争する国にするのか―安倍政権が残した「負の遺産」を克服し、歴史をゆがめる異常な潮流を日本の政治から一掃することは、引き続き重要な課題です。
過去に向き合い発信を
南京事件70周年国際シンポ
共同代表尾山宏さんに聞く
日本の侵略戦争から何を学ぶのか。今年、世界八カ所で開いた「南京事件70周年国際シンポジウム」(今月十五、十六日に東京)の中心になってきた弁護士の尾山宏さんに聞きました。(松田繁郎)
世界は記憶している
「南京事件」(一九三七年十二月)は、日中戦争から太平洋戦争にいたる戦時中の日本政府、日本軍、日本企業の加害行為の象徴的存在です。私たちが「南京大虐殺」を「南京事件」と呼ぶことにしたのは、大虐殺だけでなく、レイプや放火、略奪などすべての残虐行為を含めることを考慮したからです。歴史学者の笠原十九司さんの提案です。
一九四一年十二月八日に日本が始めた太平洋戦争によって、日本の加害行為が、中国、韓国から「大東亜共栄圏」と呼称した地域に広がりました。東南アジアにも被害者がたくさんいます。
一九四五年二月、フィリピンのマニラでも市街戦の際に日本軍による住民虐殺がありました。マニラでは毎年追悼の行事を行っています。今でも日本軍の残虐行為を忘れていないのです。
国際シンポ開催を知ったパリ在住の日本人が「なぜパリまで来て、日本の恥をさらすのか」と現地の実行委員会にいってきたそうです。私は、その日本人に、世界はちゃんと記憶しているし、日本が何も記憶しないとしたら、その方がよほど異常だといいたい。
「南京事件」と向き合うことは、究極的には世界の平和にかかわることだと思っています。今でもイラク戦争や内紛があり、大量虐殺や大量破壊、大量レイプが行われています。それをやめるために日本政府がどういう役割を果たせるかを考える必要があります。日本人自身が日本の残虐行為を記憶にとどめ、誠実に向き合っていることを、世界に発信することに、とても意味があると思います。
ストックホルムで
十月にストックホルム国際平和研究所を訪問したとき、私は所長に「和解のための普遍的な方法、方式があるとお考えですか」と聞きました。韓国の盧武鉉大統領がかつて「日本は普遍的な方式に従って過去の克服をすべきだ」と提言したことを思いだしたからです。
所長は、「和解は非常に長い時間がかかり、困難も伴う。じっくりやることを心がけることが一番大切ではないでしょうか」といいました。非常に印象に残っています。
この後、笠原さんと二人でベルリンに寄り、ナチスによるユダヤ人虐殺の記念施設を見ました。びっくりしたのは、その施設がベルリン中央駅の真ん前にあったことです。近くにはブランデンブルク門、国会や官庁街がある。日本でいえば東京駅前、あるいは国会議事堂や霞が関の官庁街に「南京事件」の記念施設があるようなものです。
過去と向き合うことは、日本の民主主義の維持・発展にかかわる重要な問題です。自分が過ちを犯したら、すぐ認めて謝罪する。場合によっては補償するのが民主主義の価値観だと思います。
戦地に赴いた日本兵も、国内にいたときは、ごく普通の人だったのです。それがなぜ軍隊に入り、戦地に赴くと、人間のやることとは思えない残虐行為を行ったのか。それを戦後の日本人は、どれほど考えてみたでしょうか。自らへの根源的な問いかけが必要です。
今に生きる反戦の歴史
日本共産党の真価
侵略戦争反対を訴えることが犯罪とされた時代に、命がけでこれに反対したのが日本共産党でした。
今年七月十八日に亡くなった日本共産党元議長の宮本顕治さんが入党したのは、一九三一年でした。この年、日本は中国東北部への侵略を開始して、第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となりました。
宮本さんは、日本共産党の最も困難な時期だった三三年に党指導部に加わり、治安維持法違反容疑などで不当逮捕されました。
五年にわたる戦時下の法廷闘争の最後の陳述で宮本さんは、「人類的正義に立脚する歴史の法廷は、我々がかくのごとく迫害され罰せられるべきものではなかったこと、いわんや事実上生命刑に等しい長期投獄によって加罰される事は、大きな過誤であったという事を立証するであろう」と喝破しました。
「九条の会」の呼びかけ人の一人である加藤周一さんは、「しんぶん赤旗」に寄せた追悼の文章のなかで、「十五年戦争に反対を貫いた」宮本さんの態度をたたえ、「宮本顕治さんは反戦によって日本人の名誉を救った」と書きました。
日本共産党の反戦・平和の伝統は、「靖国史観」「靖国」派政治を正面から告発し、安倍「靖国」派内閣を退陣においこんだたたかいをはじめ、イラク戦争やアフガニスタンでの報復戦争反対、自衛隊海外派兵反対の追及に生きています。戦争でテロはなくせないと論陣を張り、憲法九条を守り生かす日本をめざして活動しています。
山田洋次監督映画「母べえ」
治安維持法の悲劇描く
山田洋次監督の映画「母べえ」(吉永小百合主演)が来年一月から上映されます。舞台は、一九四〇年の東京です。ある日突然、文学者である夫を、治安維持法違反容疑で検挙され生活が一変してしまう妻と家族の物語です。
治安維持法は、日本共産党の主権在民と反戦・平和の主張と運動を弾圧するために天皇制政府が一九二五年につくった法律で、二八年には、最高刑が死刑に引き上げられ、さまざまな口実で国民を弾圧する「目的遂行罪」をもうけ、弾圧の対象を大きく広げました。
治安維持法によって二八年から三七年までに検挙された犠牲者の数は、合計六万一千六百八十五人に達しました。映画「母べえ」に登場する夫の検挙は、戦前の暗黒社会の特質を示す出来事だったのです。
2007年12月08日 「しんぶん赤旗」