五、歴史の真実をゆがめるもの
1 大東亜戦争肯定論
A級戦犯容疑者が釈放されて首相となり、A級戦犯が刑期を短縮されて出所し大臣となるような日本の政治状況では、戦争責任の追及や侵略戦争への反省がおこなわれなかったのは当然といってよいかもしれません。それどころか、歴代政府首脳はアジア太平洋戦争が侵略戦争であったことを絶対にみとめようとはせず、またアジア太平洋戦争や日本の植民地支配を正当化するような政治家の発言も数えきれないぐらいあります。
ただ一度だけ、首相がアジア太平洋戦争を侵略戦争としてみとめる発言をしたことがあります。それは一九九三年八月、38年間つづいた自民党政権に代わって登場した非自民内閣の細川首相です。この発言はすぐ取消されたのですが、こういう発言がとびだしたことにおどろいた自民党は、あらためてアジア太平洋戦争(彼らはいまでも、この戦争を大東亜戦争と呼んでいます)とはどういう戦争だったのかを見直し、一九五五年に『大東亜戦争の総括』という大著を出版しました。これはたびたびくりかえされてきた侵略戦争肯定の発言を総まとめしたような内容のもので、そういう立場から見ると、現在の教科書は「偏向」しているということになりますので、これを正すためには「新たな教科書のたたかい」が必要だといっています。そのためには学者に資金を援助して教科書批判をすすめようともいわれていますが、この年のはじめに藤岡信勝東大教授らが自由主義史観研究会を発足させ、翌年、中学校の教科書から従軍慰安婦の記述を削除せよという運動がはじまったことには、こういう背景があるのです。いま藤岡氏らは「新しい歴史教科書をつくる会」を発足させ、自分たちの手で教科書をつくろうという運動をはじめています。
映画『プライド』もこういう侵略戦争肯定運動の一環として作成されたもので、製作・上映は東映映画ですが、スポンサは東日本ハウスという会社の社長の中村功という人で、この人は青年自由党という右翼政党の党首であり、「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者でもあります。
こういう人びとは現在の教科書に書かれている日本の近現代史の記述について、どういう点で異論をとなえているかというと、大局的な点では、明治維新いらいの日本史が侵略や弾圧などの暗黒面ばかりでえがかれていて、子どもたちに日本は悪い国だという印象を与え、祖国にたいする誇りを失わせるという異論です。そこで藤岡氏たちはこういう歴史観を「自虐史観」と呼び、日本の近代のもっと明るい面を強調しようというのです。
どんな社会にも明るい面と暗い面とがあり、現在の教科書もけっして暗い面だけをえがいているわけではありませんが、そのことよりももっと問題なのは、自分の国の過去の悪事をえがくことを「自虐」ととらえる考え方です。私たちはたとえば治安維持法をとんでもない悪法だといって批判しますが、このことはけっして自分を責めているのではなく、こういう悪法をつくった当時の支配層を批判しているのです。日本はよい国か、悪い国かなどと単純にいうことはできません。日本のなかで誰が弾圧し、誰が侵略戦争を推進し、誰がこれに抵抗したのかと見ていくことが大切で、そうすれば抵抗した人びとのなかに本当の「プライド」を見つけることもできるでしょう。弾圧した側も抵抗した側もいっしょにして、「自虐」だとか、「プラィド」だとかというのは、さきにのべた戦争責任論と同じように、本当の責任がどこにあるのかを、あいまいにしてしまうものです。